インパールの公園と川泳ぎ
慰霊碑と平和記念館に行ったあと、インパール中心にある公園に行った。
ここはイギリス軍が侵略する前は王族が住んでいた神聖な場所だったそうだ。
チケット売り場には外国人100ルピー、観光客20ルピー、インパール人10ルピーと書いてある。
マニプールには日本人そっくりな人がたくさんいるのでバレないだろうと、しれっと20ルピーを差し出すと、チケット二枚くれた。
うん、だてにピーチ航空でフライトアテンダントに「あ、日本のパスポートをお持ちの方ですか?」なんて言われてない。
自転車は置いてけって言われる。中広いからやだって言ったけどダメ。あいつら自転車じゃん、って乗ってる奴指差して言うと、レンタル自転車のみだとか。
正門から入ってしばらく進むと奥にチケット出すゲートがあって、カバンチェックされる。で、奴はタバコのまだ入ってるやつを見つけ出してクシャってして投げ捨てた。
おいまて!
中には若者が多い。ここがインパールのナンパスポットなのは確定的に明らか。
でも、大したものはないからレモンティー飲んですぐ帰る。
タバコ返せって言ったらゲートの受付はちゃんと覚えてて、返してくれた。
街をフラッと流して自転車屋でインド式超うるさいベルとか冷やかしで見たり、コヒマ行きのバスを乗り場でチケット予約したり。
こういう商業施設には綺麗目なトイレがある。
間に合った。
インド人はローヤルエンフィールドばっかり乗ってるくせに、服はハーレーの店があってトゲトゲの超カッコいい革ジャン売ってる。
あ、あとウーマンズマーケットっていう女の人ばっかりの市場があるって聞いてワクワクして行ったけど無言で冷めた顔で立ち去ったり。
ここまでは絵にはなるけど別に楽しくはない。
ここから。
適当に回ってたらユースホステルを発見!
ここは寄宿舎じゃなくてツーリストも泊まれるホステルだった。
ドミが160ルピー、個室が300ルピー。
インパールは宿が大体高い。2000ルピーとか平気でするので、ここはおススメです。
飛び込みで部屋を決めて、付近を散歩してたら人が川で泳いでる。洗濯とか洗髪もしてる。
行くしかない!
すぐに水着と石鹸とGoProもどきを取りに戻ってダイブ!
濁り水なのでシュノーケルはいらない。
ガンジス川で泳ぐのはちょっとって思うけどここなら上流だと思うし多分きれい。泥水だけど。
子供達が写真を撮ってというので一緒に撮った。
んでユースホステルに戻ってバケツシャワー浴び直して、飯食って個室で全裸になって洗濯してるとドアがノックされた。
フルチンで出ると、インド人のホステルマネージャーが女性を連れてて、
「日本人がもう一人来たぞ!」
きゃあ!
京都出身のキャリーバッガー、あのガラガラ引く奴でインドにもう半年いるとか。しかもソロで。
すごい。
何人かの親しくなった人以外、ほとんどの京都人はいけずなので嫌いだったけど、すごい面白い人もいるものだ。人種差別はダメだ。
モン市だとかナガランドのかなり奥地までひとりナガ族のおじいちゃんに会いに行ったとか。
ナガ族の手作り刺繍サコッシュを買ったと見せてくれて、柄がとても可愛かった。
人と旅行するのがキツいから一人旅、という話で意気投合。
少し前まで二人だったけど、なんとか理由つけて逃げたらしい。
俺も、前にインドにいた時、同じ英語学校に行ってたタイ人のザキアちゃんと日本人三人でマイソールまで半日旅行しただけで、ひとりで逃亡した。その節はごめん。
基本的に自分勝手に動きたいから誰かに合わせて我慢することが出来ない、ようは社会不適合者なのです。
インパールの慰霊碑と平和記念館
書きにくい。
いつもの記事のようにちょけたこと書くと炎上商法になりそうだし、殆ど誰も見てないブログとはいえ。
ここは、補給をしないで気合いで敵から奪え、という気の狂った精神論・根性論を振りかざした司令官の指示で、実際に病死、餓死した方が三万人以上、戦死した方が二万六千人いる。そんな場所なのです。
一人の死が三万件起こった、って言い換えたのは誰の言葉だったか。
75年前に実際に起きたことだけど、でも実感がわかない。
自転車で登って、途中で挫折して車に乗ったあの道がそのルートだった。
白骨街道なんて呼ばれているそうだ。
彼らが一人としてたどり着かなかったインパールの地に、慰霊碑が建ってる。
俺がこの戦いで死んでたら、こんなもので慰霊だなんて言われても絶対に納得できない。
近くにいた管理者のインド人にカギを開けてもらって中に入れてもらった。
碑を前に手を合わせたけど、ここに英霊がいるとはどうしても思えなかった。
明日のため?
成仏?
管理人はここは地元の有志がボランティアで手入れをしてるんだ、って言っていた。
厚生労働省のサイトには、この碑は旧厚生省が建て、厚生労働省がマニプール州政府に委託して、慰霊碑の掃除、敷地内の除草、周辺植栽の伐採、巡回などを行っている、と説明があった。
そこから左手にちょっと行くと、平和記念館がある。
日本財団というところが、インパール平和資料館支援事業で建設の支援をしたそうだ。
75周年の今年、令和元年6月にオープンしたばかりで建物もピカピカ。
入館料はフォーリナーは一律100ルピー。インド人30ルピー。
それはおかしいと思ったので、受付に苦情。
マニプールの組織が運営してるから仕方ないんだ、と言い訳された。
中は撮影禁止。
でも大して何も置いてない。
この資料館は戦争を賛美した内容になりそうだったのを、沖縄出身でインパール戦に参加した大城和喜さんという男性が阻止したのだと、琉球新報の記事に書いてある。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-964961.html
この次のコーナーはその後のマニプールの発展について。
戦争が州の発展を後押しした、みたいな構成になっていてどうかと思った。
亡くなった人にとっては、無意味でなかったと思いたいのは分かる。
インパール戦がインド独立のきっかけになった、なんて言ってる人もいるみたいだ。
それでも何を言おうが、この最低の作戦を立てて誰も止められず、一人としてその責任も取らない、こんな無様な実態が肯定されることは決してない。
え、更迭? それが?
名札に不器用な刺繍でイマノと書かれている。それが一番心に刺さった。
殆どが茨城県出身者だったと、この横に置いてある戦没者名鑑に書かれていた。
ホステルってそりゃホスをテルするとこじゃなかったの?なんてそこに拝み込んで泊まってみた
※緊急告知
まさかのブログ親バレ発覚
「見とるよ、ブログとか」ってギャー恥ずかしい今すぐ読むのをやめてくれさい!!
という訳で、インパールから30キロ手前の町kakchingというところで車を降りて、グーグルマップでホテルを探したら、4キロ先にあった。
行った。
部屋あるの?
ええと、ここはホテルじゃなくてホステルなんだ!
えっ? ホステル? それが何か?
んーなんて言ったらいいのかなあ。
えっ、泊まれないの?
ちょっと待って、確認してみる!
で、ホステルというのは泊まれるところ以外にもう一つ意味があって、寄宿舎、寮。ようは家が遠くにある生徒の合宿所みたいなところだった。
いいって!
えっほんと?
責任者に確認してくれてたようで、日本から自転車で旅してる変な奴を教育の一環と思ってホームステイさせてくれる、みたいなことになったんだと思う。
体を洗いたいって言うと、井戸を使ってもいいよって言ってくれた。
シャワールームはそこ?
ここだよ。
使っていい?
どこでも、何でも使っていいんだよ!
めっちゃ優しい。
ポンプで井戸水を汲むと、濁ってる。
最初に出てくる水は汚いから捨てるんだ!
そうなんだ。
捨てて、もう一回汲んだ奴も、そんなに変わらないけどまあいいやって、バケツ持って個室に入って体を拭く。
よくみるとバケツにはおたまじゃくしが泳いでた。
風呂から出たら先生がいて、旅のあれこれについて話した。
自転車漕いで全部まわってるの?
ううん、バスとか電車ばっかり!
……(笑)
マーケットに行くよ、一緒に行こうって言われて、もう一人の先生を迎えに行って、どこ行く? どこ行く? そりゃあそこでしょ! って手でグラスを傾ける仕草。
バーへgo!
で、日本で飲んだことあるかい? って聞かれて、うんごくたまに、って言うと、でもレッドラベルだろ? って決めつけられる。
確かに前にインドに来た時は、バーボン、スコッチが高すぎたから安物インドウィスキーACESとかPUNCHばっかり飲んでた。紙パックに入ってる奴。
これ。
この写真を見せたら、「これはダメな奴だ!」って。
飲んで、日本人は働きすぎでデスレールウェイを突っ走ってるんだよ、だから俺はそこから逃げてきたんだ、みたいな話を酔ってした。(いうほど働いてないけど)
でも海外で働いたら給料が安いよ?って言われた。
うん。人生とお金のトレードオフだ。
翌朝。
この先生は聞けば年齢50歳だとか。若い!見た目若すぎ!
このあとで筆ペン使って一人一人の名前を漢字で書いてあげた。
インパールまでヒルクライム強行作戦、やっぱ坂嫌い
この子は自転車に乗せてあげたらベルをアホみたいにかき鳴らした。インド人の血だ。そのあとの坂で、しばらく自転車を押してくれた。優しい!
軽量ロードとは違うのだよ総重量35キロくらい?
400メートルくらい標高を獲得したところで死にそうになった。
病み上がりに無理したらダメだ。水も切れたし痔もまた出かかってる。
うん、やっぱり「漕ぎます」のパターンか。走行距離はまだ5キロ足らずだ。下ってバスでも乗ろうか。
俺はまだ登り始めたばかりだぜ、この長い男坂を! 未完!
とか言って。
バテてその場で座ってたら山からアーミーが下りてきた。
何やってんだ? とか聞かれてバテた、水もない。って答えたら、あと2キロ行ったらお店あるぞ、って教えてくれた。
店はそこから本当にすぐのところだった。
諦めるのは簡単だ。
でも、自分が知らないだけで、本当は、目的地はあとちょっとのところにあるのかもしれない。
みたいな教訓を得て水を買う。これでまた戦える!
山奥の寒村だけどしっかり電気が来ててペットボトルはキンキンに冷えてる。
日本にある道路予算のない田舎の県道みたいな感じ。景色もけっこう似てる。ガタガタで穴ぼこだらけだからスピードもそんなに出せない。せっかく700cタイヤなのに。
28cの太さだとギリギリな感じ。無理ではないレベル。
少し行くと車が長蛇の列になっていて、俺がバテて休んでたときにガンガン抜いて行った奴らだ。チェックポイントでものすごく混んでる。横をすり抜けて最前列まで行くと、フォーリナーはそこでチェックだ、って言われて小屋でパスポート見せて終了。
写真撮ろうとしたら禁止って言われた。
インド人らしい、馴れ馴れしい軍人で、1日何キロ走るんだとか今日は何キロ走ったのかとか、どこまで行くんだとか色々聞いてくる。
サイクルコンピュータの走行距離を見たらまだ10キロくらいしか走ってなかった。
そこからしばらくは下り。
Maps.mepでキャンピングって書いてあったところに行ったらポリさんが立ってる。
ここで泊まるねん、って言ったら、ダメだって言う。
宿のある次の町は20キロ先。時間は夕方5時。激坂山道土砂崩れもあるでよ。
あと、ここからは全部、無茶苦茶きつい登り坂だぜ。
ポリさんにそう脅される。
ユーズ ベイカント
って言われて空き? なんだそりゃって思ってたら、適当な車を止めて、その荷台に自転車を積んでくれた。
空車って意味か。
運転手さんは、すっげ迷惑そうな顔をしてる。
嫌だったんだ。
まあそうだろうな。
うん、結局車。
未舗装路の激坂をガンガン登っていくエブリィ。(たぶんだけど800cc)やっぱりスズキ車はよく走る。前にはアルトが走ってる。インドはスズキの国だ。
運転は上手い。全然酔わない。やっぱドライバーは未舗装路で鍛えなきゃダメだ。
そのうち標高が上がりガスってきた。気温も低くて肌寒い。
雲とガスの切れ間に綺麗な夕焼けが見えた。写真じゃ伝え切れないこの美しさ。
で、インパールの手前30kmの町で、荷物下ろすからごめんここまでねって言われて、kakchingというところで夜7時前。インドは広いくせに全部同じ時間、でこのあたりは東の端なのでもう真っ暗。
通常、シェアタクシーなどでモレからインパールへ行くのは500ルピー750円程かかる。泊まってた宿のオーナーも、先週車買って送るサービス始めたんだ、500でどうだ、って言ってた。自転車で登りたいんだって断ったけど。
こんな状況だし、降りるときにボラれても1000ルピー1500円くらいは覚悟してた。
まあ乗るときポリさんの指示だったしそこまで酷いことはないだろうと、でもドキドキしてた。
それがお金は一言も言われなかった。
自転車付きヒッチハイクみたいなもんか。こんなこともあるんだなあ。
まあそういう事もあるかもしれないので、モレからインパールに向かう人はよければ参考になさって下さい。
インドでも北部はやっぱり違う。
この辺はマニプールというらしいけど、人々の顔つきは日本人に似てた。
『はらうじゃれ』
ありがとう、って意味のマニプール語、さっき聞いておいた奴を言ってバイバイ。
※訂正! はらうじゃれは、私はとても幸せです、って意味だった。
ありがとうは『たがっちゃり』
そして宿を探すのだが、見つけたホステルが実は……。そしてこの後大変なことに!!!
次回へ続く。
国境の町、モレ
ここでまさか4日間も足止めを食らうとは。
体調不良に加えて、調子に乗って辛いものをたくさん食べすぎたせいだと思うけど、サドルに座るとその、ある部分に激痛が走る疾患をわずらってしまいました。(写真自粛)
一日何度も冷水バケツシャワーを浴びて患部を清潔に保ち、レストランでは大声で「ノースパイシー!!」と叫ぶ。だんだん腫れが引いてきて、マシになった。
隣室のインド人二人組に辛くない店聞いたりしてたら仲良くなってミャンマー 行こうぜってオートリキシャで連れていかれた、国境。
友好のために、免許とか簡単な身分証で行き来できるようだ。
多分町内に限る。
向こう側には活気のある商店街。
インド人二人組はコーヒーを奢ってくれた。このメガネかけてるのはDai SKくんと言って、日本人ぽい名前だって言うと喜んでた。
でもこの後で買ったウイスキーを回し飲みさせられて、痔が悪化。
連泊を余儀なくされた原因。
でもやっとマシになったのでインパールに向かおうと思う。地図見たら標高1.3キロ登るとかあったのでまた漕ぎますって言って車使おうかとも思ったんだけど、とりま自転車で。
なおこのあたりには首狩り族がたくさん住んでいるそうだ。
種まきの時期に豊作祈願で首を狩るワ族とか、インドとミャンマーに分かれて住んでいるナガ族、インド政府に対して長い間抵抗してた奴とか。
つい最近まで首切ってたらしい。ってことは、まだ切ってても不思議じゃない。
日本は戦国時代でやめた風習。
フランスじゃ革命のときくらいか。
社会的に首狩りが肯定されるって異様に思うけど、ちょっと歴史を遡れば人は野蛮だ。
あとテレビで有名な首長族、カヤー族の住む場所も結構近い。
長くして、切られやすくしてどうするんだ。
今日のわんこ
大通りに今回こそはガチでかわいいわんちゃん。
このコーナー海外のブサかわばっかり載せてるって自覚あったけどこの子はガチ。
つぶらなおめめがヤバイ
なんと二重まぶた!
ついでに宣伝。なろうで書いたラノベ短編、
『幼馴染がエロい言葉しか喋れなくなってしまった件』が
https://ncode.syosetu.com/n5153fs/
絶賛公開中!
今からインドに向かって自転車漕ぎます!!
この詐欺タイトルにも自分で書いてて大概飽きてきたけどこのブログを始めて見る読者様がこのページを最初に見つける事だって大いにあるわけだ。
漕ぐ、漕ぐと言ったが今回その時と場所については指定していない。この事をどうか諸君らも思い出していただきたい つまり・・・・我々がその気になればバスで行きます!
言い訳は、滞在日数。風邪のせいで、あと三日で国境行かないと不法滞在に!
自走とか、無理無理。
三列シートのバス代は28500チャットと自転車15000チャット。
お金用意してカウンターで払うと、
「じゃあ明日の2時に来てね!」
「なぬ?」
たしかにあとちょっと余裕はあるよ?
バスは15時間で国境の町に到着する。
出国しないといけない日の1日前には着くはずだ。
「今日にして!」
何回頼んでもダメだった。
バスステーションの近場にあるホテルが安かったのでそこにチェックイン。
なんと同室に日本人旅行者が二人も泊まっていて、仲良くなりました。
ミャンマーに来てありとあらゆるトラブルに見舞われ(洪水、詐欺、バスに置いてきぼり、カメラ故障、盗難)スマホも盗られて一時帰国するスバル君とか、パタゴニアのパクリでサイゴニアって書いて、山じゃなくてホーチミンの建物のシルエットでかたどりしてあるTシャツ着てたFB交換する前にタイに飛び立ってしまったベジタリアンのごめん名前忘れたサンとか。
あとホテル主催のパーティーがあるとか部屋に電話がかかってきて、コーヒーとジュースとポテチ用意してるからみんなに声をかけて参加しなよ、ってベルボーイが言って、中国人旅行者にパゴダの写真ひたすら見せられたりとか。
ミャンマーの最後でなかなか有意義な時間を過ごせた。
で、翌日。バスに乗り、寝てる間にタムーという国境。
バスに詰め込まれた自転車はドロヨケがちょっと曲がるくらいの被害で済んだ。
マイクロだと天井にそのまま載せるけど、大型バスだとタイヤを外せって言われた。
前後輪外してエンド金具だけ付けた状態で輪行。
下ろして曲がったドロヨケを指差して文句言った、けどスタッフはそんな俺の姿を見てニコニコするばかり。もー。
バス停からイミグレまでは、ひたすら直進しよう。
途中で曲がってすぐ橋とか渡る道を行くと無茶苦茶遠回りになる。
インターナショナルチェックポイント、インドミャンマーフレンドシップブリッジの手前、掘っ建て小屋みたいな二軒が建っている。右側のイミグレが正解。反対側は入国用。
橋を渡って左の泥道を登っていくと、インドのイミグレは立派なビル。
やっと手続き終わったら疲れが出たのか病み上がりに無理をしすぎたのか、ダルかったのでモレの町中に200ルピーの宿見つけて即宿泊。一日中寝てた。バスは言うほど快適じゃなくてあんまり寝れんかったし。
で、起きたら元気になってたからチャイとラッシーとSIMを買って今に至る。
インドのSIMはエアテルというところがとても安くて、買ってから28日間、1日につき1.4GBまで、350ルピー。日本円にして525円。日本で契約するのがアホくさくなる。
デメリットとしては、買ってすぐ半日くらい通信障害が起きた。
あと4Gつかえるはずなのに、アップロードが異様に遅い。
今日のブログに写真一枚しかないのもそのせい。
なので今日のわんこもお休みです。
ミャンマー で破損・汚損紙幣はセントラルバンクで交換
下ろしたお金が破れてた
ミャンマーじゃ破れたり穴空いてるお札は受け取ってくれない。
インドと一緒。
そのへんの銀行に行ってみた。
「変えて?」
「ごめんムリ」
「なんでよ!下ろしたらこうだったんだよ」
「レシートあるの?」
「捨てた」
「じゃムリ」
なんか普通の銀行じゃダメで、セントラルバンクという所に行けという。
中央銀行、ようは日本銀行みたいなもんだろうか。そんなの街中にあるの?
てかマンダレーにあるの?
maps.meで探すと最寄りが39km先とか。
遠いよ。こっちは病み上がりだぜ。
そしたら82strと26strのクロスしたところにあるよって言うから何とか探し出した。
距離200mくらい。
24hって書いたセブイレのパクリっぽい色のWiFi使えるコンビニの隣にある、地図に載ってないけどミャンマー語でしか書いてない銀行っぽい建物の入って左端の階段を登って二階を進んだ奥に、格子の嵌ったブースのある部屋。
説明して5000チャット札を出すと新札をくれた。
ふう。350円損しないで済んだ。
ドルから両替なんかの時も汚いお札混ぜられる場合があるので注意しよう!
今日のわんこ
コンプレッサー横の廃チューブは僕らにとっての豪華ソファーベッド!
絶対に、おまえなんかに譲ったりしねーっつーの! 固い決心が牙を剥かせる。
でも負けて逃げ出した子はクーラーのついた室内に入れてもらってた。
くやしくなんてないんだもん!