自転車でフラッと海へ行くブログ

海が見たくなって自転車で出かけた 白浜、沖縄、タイのタオ島を経て紅海まで行く予定。なおダイビングのライセンスは日本に届いたのでまだ手にしてない

インパールの慰霊碑と平和記念館


書きにくい。

いつもの記事のようにちょけたこと書くと炎上商法になりそうだし、殆ど誰も見てないブログとはいえ。

 

ここは、補給をしないで気合いで敵から奪え、という気の狂った精神論・根性論を振りかざした司令官の指示で、実際に病死、餓死した方が三万人以上、戦死した方が二万六千人いる。そんな場所なのです。

一人の死が三万件起こった、って言い換えたのは誰の言葉だったか。

 

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75年前に実際に起きたことだけど、でも実感がわかない。

自転車で登って、途中で挫折して車に乗ったあの道がそのルートだった。

白骨街道なんて呼ばれているそうだ。

彼らが一人としてたどり着かなかったインパールの地に、慰霊碑が建ってる。

 

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俺がこの戦いで死んでたら、こんなもので慰霊だなんて言われても絶対に納得できない。

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近くにいた管理者のインド人にカギを開けてもらって中に入れてもらった。

碑を前に手を合わせたけど、ここに英霊がいるとはどうしても思えなかった。 

 

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明日のため?

 

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成仏?

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管理人はここは地元の有志がボランティアで手入れをしてるんだ、って言っていた。

厚生労働省のサイトには、この碑は旧厚生省が建て、厚生労働省がマニプール州政府に委託して、慰霊碑の掃除、敷地内の除草、周辺植栽の伐採、巡回などを行っている、と説明があった。

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手は管理者のインド人

そこから左手にちょっと行くと、平和記念館がある。

 

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日本財団というところが、インパール平和資料館支援事業で建設の支援をしたそうだ。 

75周年の今年、令和元年6月にオープンしたばかりで建物もピカピカ。

入館料はフォーリナーは一律100ルピー。インド人30ルピー。

それはおかしいと思ったので、受付に苦情。

マニプールの組織が運営してるから仕方ないんだ、と言い訳された。

 

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軍服の上に監視カメラ

中は撮影禁止。
でも大して何も置いてない。

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この資料館は戦争を賛美した内容になりそうだったのを、沖縄出身でインパール戦に参加した大城和喜さんという男性が阻止したのだと、琉球新報の記事に書いてある。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-964961.html

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この次のコーナーはその後のマニプールの発展について。

戦争が州の発展を後押しした、みたいな構成になっていてどうかと思った。

 

亡くなった人にとっては、無意味でなかったと思いたいのは分かる。

インパール戦がインド独立のきっかけになった、なんて言ってる人もいるみたいだ。

それでも何を言おうが、この最低の作戦を立てて誰も止められず、一人としてその責任も取らない、こんな無様な実態が肯定されることは決してない。

 え、更迭? それが?

 

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名札に不器用な刺繍でイマノと書かれている。それが一番心に刺さった。

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殆どが茨城県出身者だったと、この横に置いてある戦没者名鑑に書かれていた。

 

 

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阿倍首相も平和を賛美