インド政府関係者専用高級ゲストハウスに頼み込んで泊まってみた
今日は90キロも走ってバテて、ゲストハウス探した。
グワハティ〜ベルパタ、Barpetaっていう町。(ちなみに昨日は10キロちょいしか進んでなかった)
頼みの綱のmaps.meにゲストハウスはなかった。ダメ元でGoogleマップを見たらCircuit House ってとこが見つかった。
なかなか評判がいい。
で、行ってみたら制服きたポリさんに守られてる。
ええと、ゲストハウスに行きたいんだけど
わかったあっちだ
で、そのあたりにいた人に、レセプションどこって聞いたらそんなのないみたい。
謎だった。
待ってろ今呼ぶからって言われていっぱいいる蚊に刺されながらしばらく待ってたらいかつい感じのおっさんが出てきた。何かI.D.を証明するものはあるか、って聞かれてパスポートを見せる。
いつからこの街にいる、とか目的は何だ、とか職業は、とか一つも笑顔のない顔で聞いてくる。
こええ。
まあふつうに宿帳に書くような事なんだけど。
日本から観光旅行で自転車で。タイからミャンマー 、マニプール、ナガランドを通ってアッサムのディマプール、シロンに行って昨日グワハティを出たんです、もう話すのも慣れたもので、普段は英語喋れない人相手に言ってるからむしろ今回の方が説明しやすかった。
説明が終わってしばらく色々質問に答えて、最後に怖い顔のおっさんが頷いて
よし、お前は泊まっていい。
で、ここはガバメントのゲストハウスだから厳しいルールがあるんだ、とそこで初めて言われて知った。
何だそれ。
ググったら、インド政府関係者のみが泊まれる施設だった。
へー、そんなところがあるんだ。
え、ていうか、いいんですか。まあいっか。いいって言ってんだから。
次はどこに行くんだって言われて、ボンガイゴンらへんって言ったら、そこにもCircuitHouseがあるから行くといい、なんて教えてくれる。
しかも値段を聞いたらノーチャージだとか言われた、でも流石にそれは信じられないんだけど。
だってエアコン付きソファ付きちゃんとヘッドから出るシャワー、トイレ付きのツインルーム。
こんないい部屋泊まったらホテルなら2000ルピーはかかるはず。
グーグルで見た料金表だと350ルピーとか、それも破格のことが書いてある。でも政府関係者しか使えないと。
うん、ちゃんと旅行者だって説明したよ。
何も嘘とか悪いこと言ってないよ。
いいの?
ほんとにいいの?
知らないよ?
警察署の近くらしくて、いつもうるさいクラクションの音もたまにしか聞こえない。
すぐ前に小さな公園がある。
犬かと思ったら鹿の像
どうなったかはまた追記する予定。
追記:
やっぱりタダでした。翌朝指示されながら書いた宿帳に、パーミッションDC、値段フリーと書いてサインして終了。
なんて素晴らしい。ドネーションも要らなかった。
これがインド人の血税から支払われていると思うとちょっと悪い気もする。
インド最大のお祭りドゥルガープジャのさなか、ブッディストテンプルに頼み込んで泊まってみた
んだが異端か?
シロンはどこにでもある観光地に過ぎないので書くことがない。
普通のインド人が行ったら涼しいし楽しめるんじゃないかなあ。
雨で出発が伸びたのは激坂をリムブレーキで泥まみれに下りたくなかったから仕方ない。
晴れて標高1.5キロを一気に駆け下りるのは爽快。途中でインド人自転車乗りに会って仲良くなったりした。
ドゥルガープジャはペルソナってプレステのゲームやってたら知ってるドゥルガーって女神、ドゥンて名前のライオンを乗り回す、全身の毛穴からビームを出せるヤバい奴。手も10本もあるそいつの祭り。ガネーシャだとかヒーロー揃い踏みで総出演しとる。DCどころかマーベルもまっつぁおの超人というか超神集団。派手だ。
グワハティに戻ってきた翌日からドゥルガープジャという盛大なフェスティバルが始まった。
ちょろっと見て旅立つ。
ダラダラしてたらすぐに時間は過ぎてしまう。
コルカタまで電車は使わず、自走する事にした。
道が平坦だから。
で、早朝10時くらいに出発して30分くらい漕いで喉が渇いたんでファンタ買ったらまたインド人のおっさんに捕まった。どっから来た?ジャパンかそれはすごいな、我々のお祭りを楽しんでほしい、時間はあるか?
また布貰った。これはガムチャって言ってタオルか手拭いみたいな用途の奴
歓迎されて写メ撮ったり子供にたかられたりした後ご飯を振舞ってもらい、気付けば夕方。
安い宿知らない? って聞いたらブッディスト・テンプルの僧院があるとか。
泊まれるの?
うん。
そりゃ泊まってみるでしょ普通に考えて、ブッダガヤでも何でもない街のお寺で。
行ったら丁度お経あげてた。
そこに、外のスピーカーからドゥルガープジャの爆音音楽が盛大にかぶさってお経をかき消した。
オレンジ色の僧服を来た和尚さんはポーカーフェイスだけど、絶対イライラしてたはず。
お経が終わってひと段落した後、和尚さんに泊まっていいかと聞いたら変な顔をされたけど大丈夫だった。やっぱ日本人が珍しかったんだと思う。
普通にいい部屋。
その上和尚さんがフルーツとかロッティやカレー持ってきてくれた。
ここまでは何となくわかる。
くいだおれ太郎さんにちょっと似てるなあと思った。
聞けばサンスクリット語の経典を現代インドの言葉に翻訳した偉い人だそうだ。
左のおっちゃんが教えてくれた。
※最近調べたらたぶんアンベードカル博士 DR.Ambedkarの像だと思う
ググったらすごい人だった
仏教はインドで始まったとはいえそもそもインテリ向けの宗教だ。インド大衆にはそぐわない。ジャイナ教と分離したり腐敗して形骸化したり苦行神聖化に退化したり偶像崇拝したり見る影もないけど、それでも2500年以上も続いてる。ナザレのイエスが誕生するより500年も前からだ。
どっかのトンデモ系ブログで、東方からの三賢者はつまり仏教徒だ説があって、まあ他宗教にマウントして取り込んでいくのは宿命だよねと思いつつも少し納得した。
一神教だろうが本来なら信仰対象はない仏教だろうが本質は一緒で、いい事言っとる。
戯言とバカ相手の方便を除外したら、本当に頑張っていい事言っとるんですよ。
もちろんムハンマドさんもだけど。
当時としてはもちろんのこと、今でもほとんどそのまま通用する。目には見えないけど確かに存在するものに、しっかり対処しようとまでしている。
でも世の中教義を盲信すればいいっていう思考停止バカが多いから伝えきれない。
日本から来て、仏教徒だって言うと喜ばれた。
このおっちゃん和尚じゃないけど仏教徒で、ヒンズー教うっさいから大嫌いって。
インドはゴーダマーシッダールタ生誕の地なのに2.5%しか仏教徒がいないんだって嘆いていた。
日本はほとんど仏教徒だよ、あとミャンマーもって教えたげて電飾LEDのミャンマー 仏動画見せたらヒンズーみたいっていってた。日本の仏は古臭くて味があるでしょって見せたら、ちゃんと磨けよみたいな反応。うん。
過去の記事
外のスピーカーからは夜中じゅうずっと、今も激うるさいヒンズー音楽が流れてる。
それが平気なインド人たちの中からブッダが現れたのは不思議なようで、でもそれが当然だったのかも知れない。
ブッダガヤに行けって言われて、まあちょろっと寄り道してもいいかって気持ちになった。
ラングヒン、ナガオン、グワハティからのシロンに寄り道
推しコメっていったらやっぱりインディカ米でしょ、そりゃインド旅行のブログ書いてんだから。日本のご飯みたいにねちゃねちゃベシャベシャしてないさらっと美味しいお米。全体の80%、世界11億人の食べてる標準はこっち。パナソニックさん宣伝にならなくてごめん、でも基本的にお米嫌いなんだわ。インドだとご飯にダリだかダルだか忘れたけどシャバシャバのカレーを掛けて食べるのが一般的なんだけど写真アップしようとしてなんと一枚も撮ってない事に気付いた。
あ、一枚だけあった。
シロンという東北インドの避暑地。そこのドミで同室になったダニエル君がナガ料理の店に連れてきてくれた。ソイビーンって言われて食べたらばっちり発酵しとるあの匂い。でも日本の納豆と違って硬い。冷蔵庫で期限切れてずっと放っといたら同じ味になる奴。
納豆は美味い。米は基本的に嫌いだけど納豆ご飯だけは認めてやる。玉子かけご飯は海外じゃサルモネラ菌が怖くて食べれない。日本の玉子は美味しそうな黄色だけど海外じゃ粘土みたいに薄い、黄身っていったらJAROが来るくらい白身と差がない。味は普通。
インドでも納豆があるのは涼しい地域だけだと思う。大阪人は納豆ダメみたいなもので、腐敗と発酵の差がきっとある。
シロンは日本の秋くらいの気候。
インドとは思えない涼しさ。
メイドカフェのカッティちゃんも、シロンはこの辺で一番いい観光地の一つよ、とメッセージくれた。
標高がやばい。あの寒い飛騨高山の三倍くらいある。
もちろん自転車積んでバスで行った。
1.5キロも登れるか!
海抜ゼロから富士山5合目御殿場ルートの高さくらいある。
景色は綺麗だし、もうちょっと足を伸ばしてチェラプンジって村までいったら七姉妹って名前のインドからバングラデシュに向かって落ちる超巨大な滝が見れたらしい、あと生きてる根っこの橋があるそうです。
シロンから南側にずっと下りで、帰りにまた標高1400メートルくらい登らないといけないんで行くのやめた。別に滝見てもねえ。根っこの橋って多分自転車渡れないよね。
行った人のブログ見たら満足しちゃったし。
見たい人はliving root bridgeでググってください。
あと、そのあたりは世界で一番雨が多い場所。毎日雨が降ってて宿を出る気にならなかった。
サイクリングには向いてない。
お前自転車漕いでねーのかって言われそうだけどグワハティまでは自走しとるからね。すごい日数掛けてるけど、ディマプールから。
ラングヒンのボド族のズッ友からナガオンに行くとムスリムが多いから気をつけろって注意されて、別にムスリムいいやつじゃん、って思ってた。
俺たちとは違うからほいほいついて行っちゃダメだよ、って釘を刺されてたそれがついた瞬間こいつ
このおっさんに即騙されるという。(※注 このおっさんはムスリムではない。だがこの顔の違い、お分かりだろうか。濃い)
食堂を教えてもらって一緒に行ったらビールがぶがぶ飲みやがって、会計で全部俺が払えとかぬかす。
ジャンプさせたけどガチで財布持ってなかった。
まあ400ルピー600円、諦めてもいいけど、後々に訪れた日本人が舐められてまたボラれる被害を未然に防ぐため、あとちょっと面白いからしつこく払えって言った。
手持ちがギリで、ないとこの日は泊まれなかったし。
ATMに行くよって言ったから解放。
いつまで待っても来ないので鬼電。
「眠いから家で寝てる」
「ふざけんな」
ぷち。
再度電話して
「お金ないんだ」
「ATM行くって言ってただろ」
ぷち
再度電話して、
「ポリさんとこ行くぞ」
「okok」
「okじゃねえ」
ぷち
掛けること十数回。
すぐのとこに警察署があったから本当に行ってやった。
インドで旅行者が警察に行くと、珍しがってか意地を見せようとするのか、本気で捜査してくれる。加害者のインド人の人権なんて全く考えないで、文字通りボッコボコにやってくれる。
インド人的にはものすごくヤバい。
奴は五分でお金持って飛んで来た。
「彼が、勘違いしてたんだ」
「うん、俺が勘違いしてたみたいだよ」
と大人の対応を見せる二人。
ポリさんにセルフィ撮らせてって頼まれたので皆でニコニコ撮りました。
次の日、お前警察行くからキライ、って電話かかってきた。
話が逸れた。
麺類。
それ以外は認めない。
チャパティもそんなに美味しくない。似たような奴を油で揚げたプリっていう奴はまあまあ食べれる。
ラーメンとうどん、スパゲッティ。100歩譲って蕎麦。それだけあれば充分。
インドにはチョーメンとかいう焼きそばの偽物があるけどまずい。
辛い、ただスパイシーなだけで味がない。色味は似てるのに、ちゃんとソースぶっかけてくれ。
チベットや中国から入ってきたトゥクパってラーメンに似た奴もあるけどなんか一味足りない。ちゃんと鶏ガラで出汁をとってるのかと問い詰めたい。あと麺が伸びとる。
こんな場所でも日清がカップヌードルを売っていて、50ルピーもするけどそれは食べられる味。三種類あって、ガチのカレー味とイタリア風カレー味と中華風カレー味。
どれか一個くらいスパイスを抜いてくれ。
インドの秋
今週のお題「○○の秋」
まったくもって過ごしやすくはない。
よく聞かれるのは日本は寒いんだろ?
冬はね。でも夏は40度とかになるよ。
マジか。でもインドは45度になるぜ!
負けん気のインド人。
Langhinという村についてバーンリー君は70キロ離れたディプーの家に帰っていった
宿を探してたら、バイクに乗った青年達が教えてくれた、でもそこは閉まってて、じゃあうち泊まる?
ええの?
そっから4日間、バイク3ケツで滝に行ったり酒盛りしたり祭りに行ったり丁度誕生日だったんで布とかプレゼントもらったりした。
ちょっと感動しすぎるとあんまりブログに書きたくなくなるんねこれ。
ボド族で、ここは小さい村だけど2年後にビレッジからタウンになるんだ!って言ってた。
二輪乗りとは絶対仲良くなれる気がする。
↑バイクメーカーさんこのコピー、750万でいいよ
岩の上で酒盛り。
ボド族の言葉で、ジュマイディシというのがライスワイン、つまりお酒。白く濁ってて酸っぱい。
ジュマイグランというのが多分焼酎。透明で度数が高い。
お酒全般のことはラオパニという。
ちっちゃいビニール袋にぐちゃぐちゃの灰色と茶色の混じった釣りえさみたいな奴が入ってて、最初はちょっと食べる勇気がなかった、けど豆と食べるとダシが効いてゲキうま。
ライスワインも焼酎もビニール袋入り。
帰りにお約束、川にバイクの鍵を流してなくすエアル君。でも大丈夫、ビジット君は整備士
翌日
首にかけてるのはアロナイという布。
泣きそう。
人生ってわかんないもんだ。
みんな大学生で、エデュケーションの授業を受けてて明日テストがあるとか。頑張れ!!
ぉれたち、ズッ友だょ!
インドの秘境、東北地方からアッサムまでその1
ディマプールを過ぎて道はまだ悪い。
グローブは無いと手が痛いから適当なスポーツ店で新調した。500ルピー也。
数百メートルおきにダートがある。
州境のゲートの警官が「暑いだろ、座ってけ」
ってアッサムティーとクッキー出してくれた。
俺の写真は撮っちゃダメって言われたんでポリさんは撮れなかった。
出発してすぐだったけど直前の坂で汗だくだったので小一時間休憩。タダでペットボトルの水もくれた。
そこからしばらく自転車漕ぐとこの爽やか男。
お前もチャリなんけ、一緒に行くばい、と。
こいつがすごいタフ。
ディプーという街から今朝ディマプールまで着いて、戻ってる途中だそうだ。買い物でもしたのって聞くと、ただ走ってただけ、トレーニングらしい。
マンジャという40キロ程先の町までタンデムツーリングしたけどついてくのが辛い。
全然休憩しない。
夕方くらいに着いて、ブッディストだろ寺を見に行くぞって言われてさらに二、三キロ。
寺なんか興味ないんだっつーの。
で宿。マンジャにはゲストハウスがあって、優秀なmaps.meの地図通りの場所だった。
クソグーグルマップでは、道路のど真ん中に宿があるなんて出た上に、そんな宿はこの世のどこにも存在しなかったりする。使えない奴筆頭。
バーンリー君は明日また来るね、って言ってディプーという16キロ離れた隣町まで帰っていった。
宿は400ルピーもしてちょっと高いけど他にないので仕方ない。
レストランの場所を聞いた子供たちと仲良くなった。
「自転車なの? じゃあ明日一緒に景色のいい丘とレクリエーションパークに遊びに行こう!」
「えー」
早朝に出て次の町に向かう予定だったのに。
インドの東側は日の入りの時間がめちゃくちゃ早く、午後五時過ぎには暗くなる。
そのかわり朝四時には空が明るくなってくる。
距離を稼ぐには早起きして自転車漕ぐしかない。
「やだよめんどくさい」
なんかこいつら石を投げて、ビー球くらいの丸くて緑色をした木の実を落として食べるんだわ、それがシブえぐ酸っぱいというか全然うまくないの。で、水飲めって言うから飲むと反動なのか水がとても甘く感じる。名前は聞いたけど忘れた。
ググったらアーユルヴェーダで使われる果実だとか。安室ちゃんのファンみたいな名前って覚えてた
じゃあ次はレクリエーションパークね!
やだよもうしんどいよ、帰る!
いや、なんか動物とかいるって言うから。
ここにはワニがいるんだって見た檻の中は空。
「逃げたのか?」
「まっさかー笑 」
まじで怖いんだけど。
あとは、滑り台とブランコとシーソーがあった。近所のちびっ子広場レベルじゃねーか!
入場料は20ルピーもとられたのに!
楽しそう。子供は無邪気でいいなあ。
こっちはもうおっさんだからね。
滑り台なんかで喜べるのはせいぜい小学生くらいまでなんだよっ!→結果
動物もいるにはいた。
シマの消えたトラとか象の像とか、マーマルはスタチューのみ。
環境保護!
悟空のモデルになった奴。
一台は一瞬でチェーン外れるわ、一台は余裕でサドル割れてるわ、六人で四台、最初は1人俺のスーパーマシンに2ケツのつもりだったらしくて、デリケートだから無理って断ったら一台足りなくてどっからかなんとか調達してくるわでめちゃくちゃだった。けどみんな笑顔。
年齢的にこのくらいの子供がいてもおかしくないくらいなんだから、ちょっとテンションについてけないわ。
さすがに出発は無理で午後は宿で寝てた。
その道中の路面がガタガタすぎて、とうとうリアのフェンダーが割れた。
before
穴がバキバキに。ガムテとボンドで補修することにした。
after
割れたとこ金のこで切ってドリルでねじ穴開けたら前に詰めれると思ったけど、これが結構丈夫で100キロ走ったあとも問題なかったからそのまま今も続投中。
宿に住んでるらしいその中の1人の家族
インドからバングラデシュとネパールに挟まれて、痔のように飛び出した東北地方。
ここにはインド独立よりも前からずっと政府に対する確執がある。
イギリスからインドが独立する前日に、ナガランドが独立宣言しちゃったりとか。
ごく最近まで外国人には閉ざされた危険地帯だった。
日本人はナガ族と顔が似ているので、チェックを素通りして行けてしまったなんて事もあるそうだが、最近まで外国人制限エリアで許可証が必要な秘境だった。
各部族の独立の為の戦いが行われていたし、停戦だってその中の一部族が主導して行ったに過ぎない、東パキスタンがバングラデシュとして独立した後、支援勢力を無くして弱体化したそうだ。
それでもアンダーグラウンドと呼ばれる活動家が普通にいて独自で警察行為などを行なっている。表立ってアーミーと対立している姿こそ見ない。でも私服で検問してる奴とか州境にいたりする。
子供達のうちの一人は、親戚がアンダーグラウンドのポリスなんだって自慢してた。
90年代までナガ族による首狩りが行われていて、インド本土からは未開の蛮族め、みたいな差別を受けているそうだ。でも本当は人々は温厚で親切。本土のように濃い顔の髭ダルマはいなくて肌色を除けば日本人にも見えるモンゴロイド。
旅人には、それが物珍しいからというのも大きな理由だろうけど、騙したりぼったくられたり危ない目にあわせられたりなど一切なかった。
あまり人に勧めて荒らされたくないからいい事書きたくないけどこのブログのアクセス数考えたら誤差みたいなもの。慰霊碑におしっこかけちゃった、みたいな最低動画あげて炎上でもしたらバカ読者が増えそうだけど、バカ増やしても仕方ないからね。
ちなみに昨日のバーンリー君は夜行くって言って来なかった。
で、翌朝来た。なんというインド時間。
それから次の町まで60キロ付いてきてくれたのだった。
マンジャから先はロードコンディションがいいから楽勝だよ!
って。たしかにダートは数キロに一回くらいに減った。
休憩なしで何キロくらい走れる? って聞いたら100キロかな、って。
ノットオンリー フラットロード、バットオールソー ラフロード らしいです。
元気すぎ。
今日は風がちょっと涼しいねー、って、暑いわッ!!
前三速なんだけど外側のネジ締めたらアウターから戻らなくなって焦った。
日本のロード乗り西○君にラインしてアドバイスもらった。結局緩めたら直った。
ディマプールで女の子見てたらコケたとかで、前輪のディスクブレーキから異音。
パッドの引きずりはQR付け直したら直ったけど音はそのまま。謎。
インドの東北地方で親切な人に会いすぎて怖い
コヒマからディマプールへ向かう山道。
大雨泥道激坂下りで、ブレーキから泥がじゅるじゅるホイールを削る嫌な音が鳴り続き、挫折。
押し歩きしてると、山奥に突如豪邸が現れた。
空いてる門から侵入。
すんませーん、ガレージかして??
うん、いいよ!
まじですかやった!!
この人がレビさんといってめっちゃいい奴。
英語が堪能でほかのみんなの通訳をしてくれた。
日本人だと言うと、ナガ族は戦争の時は顔がそっくりな日本人に協力して戦ったんだ、って言ってた。「イギリス人もインド人もかおが違うからな」ナガ族は典型的アーリア人種インド人などとは違って日本人にいそうな顔をしてる。
実は二つ年下。
弟の家に来てたって言ってた。ガレージを快く貸してくれて、修理も手伝ってくれる。
それどころかかわいい姪っ子がチャイのみならず紅茶まで入れて持ってきてくれる。
シャイで写真を撮っていい?って2時間くらい交渉してやっと一枚撮らせてくれた。
でもなんか勿体無いからブログには載せない。
濡れて寒いだろ、って七輪みたいなのも持ってきてくれた。なんてあったかいんだ!
これからどこ行くの?って聞かれて、ディマプールっていうと、俺たちもこれからディマプールに帰るんだ、よかったら乗ってかないか?
いいんですか!?
お願いします!
結局、車。
家を出てすぐお店に止まって、ご飯でも食べるのかと思ったら、
でーん、ウィスキー!
運転手も飲んでいて、大丈夫かよって思ったら隣で飲んでるのがトラフィックポリス、交通警察。日本人なのか、って珍しがって色々喋りかけられた。
ナガランド州はドライステートって言う禁酒州だったはずなんだが?
そのポリさんも明らかに車で来てる。
テンション上がってクルマに乗って、なんか日本の歌を流せよって言われたんで、ブルーハーツ流した。
生まれた所や皮膚や手の色で、一体この僕の何が分かると言うのだろう
運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか
ちょっとこれ、作為的過ぎるきらいもあるけど悪くはないでしょう。
ナガ族には首狩りの文化がかつてあった。日本軍が敗走の時に首を狩られたんだろうなんて憶測でブログを書いている人もいるようだけど、来てみて喋ってみれば印象は変わるのに。
途中、落石がごんごん落ちてきて、重機が来て撤去するまで動けなくて長い渋滞になったりしながら、
夕方にごはんもおごってもらった。
暗くなるまで走り続けてやっとディマプールに着いた。
ああ、自走じゃなくてよかったー!
って事で一晩厄介になる。
こんなによくしてもらって本当に感謝しかない。
翌朝、起きると家は材木屋さんか建材屋さんで木材とかでっかい電鋸があった。
その間に置いていたコレ
山に木を切りに行ったら象が死んでたから持ってきた、って言ってた。
比較用のタバコ近くに起きすぎた。もう一枚。
コレは臼歯が写ってる。
レビくん、ロコシェニョーさん、ビボツオくん、テジャングちゃん、それにみんな
ずっと忘れないよおお!!
次回はディマプール市内、鬱回です!
今からディマプールに向かって自転車担いで行きます
宿のババアがむかつくコヒマのゲストハウスを後にして、とりあえずナガランドステート博物館に行ってみた。
昨日まではなんとか晴れてたのに、今日は大雨。金魚柄のポンチョが大活躍。
2、3キロ北に向かって自転車を漕ぐ。
ステートミュージアムは泥の激坂を上った途中にある。
びっしょびしょに濡れながら自転車を駐輪。
入り口で、おばちゃんが喋りかけて来た。何語か全然わからない。
英語で適当に日本から来たとか返していると、まあいいから着いてこい、みたいな雰囲気を出す。
自転車を置いて着いて行くと、チケット売り場を素通りした。
係員が俺になんか言ってる。
おばちゃんを指差して、俺も素通りする。
このおばちゃんは実はここの館長か何かで、強大な権限を持っているんだ、とか妄想しながら。中を見物してるとあわてた係員がすっ飛んできた。
おばちゃんと何やら話して、どうにか納得してくれたみたい。
現地語、インドは何百種類も言語があってナガル語だと思うけど判別なんてつかない。このおばちゃんの服は展示してあるのと色違いのお揃いだったので多分ナガ族の人だと思う。
インドの東北地方ナガランド州は沢山の種族が混在していて、その各風習を展示してるらしい。
ボウガン!
羽根の数が多い奴が偉い。手前は三下
武器たち。
あと人形。呪術的な用途だと勝手に思ってる。
で、出たところで料金表をチラ見したら、写真一枚50ルピーとか書いてた。
ばっしゃばっしゃ撮ってたから破産するとこだった。
おばちゃんありがとう!
言葉通じなくてもこの恩は忘れません!!
そのあと豪雨の中、ディマプールに向かって激坂を登って行く。急斜面の道路に水が川というか急流のように流れてる中、降りて押してなんとかギリギリ進む。くるぶしまで急流に浸かってる。雨宿りしようにも両サイドは山と谷。
やっと雨も止んで平坦なとこに出たら、この先インパール、って書いてあった。
痛恨のミスコース。
一時間くらいかけて登ったのに。
下りは一瞬。
ただ、泥水がホイールに掛かって、ブレーキをするたびにアルミの削れる嫌な音が聞こえる。ジャリジャリ言って、ヤバそう。
発展途上国の自転車に、最新ディスクブレーキが多数搭載されているのは、これは必然だと分かった。
リムブレーキは泥道に弱い。ディスクブレーキなんか要らないというのは道路整備の行き届いた先進国の驕りだ。
しばらくずっと急斜面の下りを、極力少なめのブレーキで駆け降りて、ヤバそうになったから諦めた。
ブレーキシューを見たら、削れすぎてもうペラペラになってる。
これはもう担いで行くしかないんじゃないの?
雨もまた降り出してる。
コヒマからしばらく走って、ひと気もない。
そんな場所にあった、山奥にぽつんと建つ一軒家、それも豪邸。
すんませーん!
でっかいガレージが併設してある。
そこで修理させてもらおう。
知らないナガ族の人の家に、お邪魔する事にした。
続く